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本のもつ魅惑

  長田弘さんの 『すべてきみに宛てた手紙』 がちくま文庫で復刊されました。 そのなかの「手紙 9  世界は ( あなたの ) 一冊の本」に次のような一節があります。   存在するものは、かならず自分の物語といえるものをもっています。その物語をじっと聴きとる。そして、わたし自身の言葉で書きとってゆく。 「書くこと」は、つまり、「読む」ということにほかならないのです。「書く」とは存在するものの言葉を「読む」ということです。   つい「書くこと」と「読むこと」は別物と捉えてしまいがちですが、「書くこと」 = 「読むこと」であることを再確認したいものです。 また長田さんは「手紙 7 」のなかで、「本のもつ魅惑」について次のように述べています。   本のもつ魅惑は、本のもつ「今」という時間の魅惑です。 「今」といっても、それは刻々に過ぎさる、ただいま現在のことではありません。 ~ 途中省略 ~  時代の歴史のなかには、そのような「今」という時間が、ゆっくり座りこんでいます。本を読むというのは、そのような「今」を、じぶんのもついま、ここにみちびくこと、そして、その「今」を酵母に、一人のわたしの経験を、いま、ここに醸すことです。    歴史上の過去の人物が書いた事柄は、その当時においては「今」現在であったわけです。それを現在の私が読むということは、その過去の「今」を現在の「今」に置き換えて、あるいは過去の「今」から学んだことから、現在の「今」を見つめなおすという作業があるわけです。それこそが、「本を読む」ことの魅力の一つです。  私が時々読み返す本の一冊に内村鑑三の『後世への最大遺物』があります。この本の中には、誰に頼まれたわけでもなく、隣人たちのために山を掘り、水路を作った兄弟の 話が出てきます。彼らは名も知られることなく、死んでいったわけですが、このようなことは「われわれを励ます所業ではありませんか」と内村は語ります。数百年前のできごとが現在の私を励まし、「今」を考えさせてくれるわけです。 最後に、さきほどの長田弘さんの『すべてきみに宛てた手紙』のなかからもう一つ紹介します。 ( 同書 33 ページ )   読書するとは、偉そうな物言いをもと...

もっと本を読もう

  もう 3 月も終わりとなり、 4 月からは新年度がスタートします。 2 月下旬のロシアによるウクライナ侵攻により、世界は混とんとした時代を迎えようとしています。コロナの状況にやっと出口の見え始めたときに、このような世界的な変化が起きるとはだれが予想していたでしょうか。 古代ローマが舞台の漫画『テルマエ・ロマエ』で有名な漫画家ヤマザキマリさんの本に次のような一節がありました。 ( 『国境のない生き方』小学館新書 2015) 「こん棒でひたすら殴り合うみたいな戦争をいまだにやり続けているのは、なぜなのか。突き詰めて考えれば、これも想像力と寛容性がないからだと思うのです。 かつての革命家は、ほとんどが教養人であったというのがすごく象徴的な話だと思うのですが、たとえばキューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、キューバを捨ててボリビアに行った時に、まずゲリラの人たちにゲーテの詩集を配ったんです。「まずこれを読め」と。 「本を読めよ。そこから始めようぜ」と。 ~( 途中略 )~ 私がキューバという国に対してものすごくシンパシーを感じているのもそこで、あの国の人たちはどんなに貧しくても非識字率ゼロですから。 どんな田舎のおじいさんだって、立派な筆記体の字を書けるし、読んでいる。平和を維持するには、人が 自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なことだ ってわかっているんです。」 私たちにできることは、まさにこの「自分の力で考え、判断していく力をつけることがものすごく大事なこと」であると信じ、そうした思いを多くの人たちと共有し、そのような力を身につけた子供たちを育てていくことではないでしょうか。 4 月からは、高等学校において新教育課程がスタートします。 今月 18 日発売『世界史の考え方 --- シリーズ歴史総合を学ぶ①』 ( 岩波新書 ) の帯には、次のように書かれていました。 「私たちが考えているのは、今、目の前にある「歴史総合」の教科書をいかに解釈するかではなく、教科書の向こうにある「問い」を見いだし、いかに深く掘り下げていくかです。たとえ、本書が提示した問いをそのとおりに考える授業ができなくても、本書を素材にして、教師が深い問いを持とうとする知的好奇心を高めれば、きっと授業は進化 ( 深化 ) していく...

身体を通した学び

 しばらく前に「声に出して読みたい日本語」という本がベストセラーになりました。 この本に掲載されている文章はだれもが一度は聞いたことのあるものばかりです。 この間、しばらくぶりにこの本を取り出してきて、その一説を音読してみました。 やはり声に出して読むというのはいいですね。また、小さいうちから音読をしていていると自然にその文章が体の中に入り込んでくるから不思議です。 絵本の読み聞かせをしている方は多いと思いますが、絵本以外にも子供向けの本なども音読してみるといいと思います。この身体的な学びというのは、デジタルの時代だからこそ貴重です。PCの画面上のやり取りばかりが多くなるでしょうから、こうした取組を積極的にしていきたいものです。

本気が成果を生み出す

 日頃から、やらなければいけないと思いつつ、できないのが人の世の常です。でも、受験に関しては、その成否を分けるのは、やはり「本気」で取り組むかどうかということですね。  本気で取り組むことできる生徒は受験勉強の後半に伸びてくるのです。それがいつまでたっても本気になれない子はそれなりの成果しか挙げることができません。  そうなるとやはり「集中力」ですね。短時間でも集中できること、これが一番大切です。  幼少時から本に親しむというのも「集中力」養成の大きなカギのような気がします。  そのことはまた、読解力向上という副産物までもたらしてくれるからありがたいことです。  本を読もう、もっともっと読もうです。

小学生のうちにぜひ読書習慣を

 本を読まない小・中・高校生が増えているとの新聞記事が最近出ましたね。 デジタル時代、スマホの画面は日常的でも、紙の本は読まないという傾向は今後ますます顕著になるのではないでしょうか。学校もICT化推進で、とりあえずやらなくてはということで、「機器の利用」から入ることになるでしょうね。 皆さんの中にも、電子書籍を読んだ経験のある方もいらっしゃると思いますが、デジタル本は読みにくいです。長時間、視力にも当然影響します。紙の本なら、中断したいときは、しおりでも挟んでおけばいいわけですが、デジタルならそうもいきません。 技術は進歩しても、紙ベースの書籍の利用価値は決して今後も下がることはないでしょう。 それと、小学生のうちは紙ベースで読んで、しっかり読書の習慣をつけたほうがいいです。 その後の人生に結構影響ありますよ。中学校に入ってから、読書週間のある子どもとそうでない子の差が如実に表れてきます。下手な受験対策をやるよりも「本を読むこと」をお勧めします。何を読ませたらいいか、もしそんな相談がありましたら、当塾の講師にご相談ください。的確なアドバイスができるものと思います。

学習の習慣化のお話

 定期テストが終わり、その結果が返ってくると、次はもうちょっと頑張りたいなと思う人はいっぱいいると思います。でも、その気持ちはそれほど長く続きませんね。では、どうしたらいいのでしょうか。 一番いいのは、「学習の習慣化」、もっと簡単に言えば、勉強する習慣を付けるということです。何事も習慣化されると、自分の体や気持ちが自然とその方向に向いていくものです。 誰からも言われなくても、自分でやるようになれるのです。ですから、まず決まった時間に自分の学習机に向かうか、いつも勉強する場所にいる、それだけでもいいんです。そして、本でも読んでみる、それがいやなら今日学校で勉強した科目の教科書を眺めてみましょう。 「ここのところよくわからなかったよな」とか、「ここは頭にスッと入ったな」とか、思い出してみるだけでもいいのです。 このようなレベルから始まって、まず2週間は続けてみましょう。そのうち、時間が来ると自然とその場所に体が動いていくはずです。そうしたら、少しずつ勉強してみましょう。宿題だけでもいいし、予習をしてもいいのです。こうした習慣が、中学生なら1,2年生のうちにできるといいですね。

読書会は江戸時代にもあった

 「批判的な読み」の大切さはいろいろな場面で指摘されているわけですが、それを実践する場の一つとして「ブッククラブ」があります。人は所詮自分の視点でものを見たり、書いたりするわけですから、偏りがあります。そのバランスを取るための方法の一つが、「ブッククラブ」のような場で、自分以外の多様な意見に接することです。  「『学び』で組織は成長する」 ( 光文社新書 2006) にも紹介されていますが、「ブッククラブ」 ( 読書クラブ ) は組織内での研修手法として効果的なものです。忙しい職場でも、今はオンラインでやり取りできますし、離れたところに住むメンバーでもコメントのやり取りは SNS やメールでできるわけですから、非常に便利になったものです。 最近『江戸の読書会』 ( 前田勉・平凡社ライブラリー 2018) を読んだのですが、そのタイトルにもあるように江戸時代に「読書会」が盛んにおこなわれていたことを知りました。 同書の「はじめに」には次のように書かれています。 明治の自由民権運動の時代は「学習熱の時代」であった、と評したのは、民衆思想史のパイオニア色川大吉である。 1880 年代、現在、名前が判明しているだけでも、 2000 社を超えるという全国各地の民権結社では、演説会や討論会が催され、国会開設の政治的な活動をするばかりか、定期的な読書会も開かれ、政治・法律・経済などの西欧近代思想の翻訳書を読み合い、議論を闘わせた。この時代の民権結社のほとんどは「学習結社的な性格」を備えていたのである ( 色川大吉『自由民権』岩波新書 1981 年 ) 。 2000 社を超える民権結社があったことも驚きですが、著者の前田さんはさらに続けてこう書いています。 討論会などは、はたして本当に、明治になってから始まったものなのであろうか。 ここで、示唆を与えるのは、蛙鳴群 ( 現在の岡山県にあった結社 ) の午前中に設定されていた「法律書会読」をするという読書会である。この「会読」は、定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読み合う共同読書の方法であって、江戸時代、全国各地の藩校や私塾などで広く行われていた、ごく一般的なものだった。 「会読」 ( かいどく ) が共同読書であり、あらかじめ決...