歴史は面白い


今年のNHK大河ドラマの主人公は「明智光秀」ですが、当然織田信長も登場してきます。
 このあたりのことを中学校の歴史教科書で確認してみましょう。

 「信長は、敵対する戦国大名を破り、全国統一をおし進めていきました。1575年、信長は長篠(愛知県)で甲斐(山梨県)・信濃(長野県)などを支配していた武田勝頼と戦ったとき、武田軍の突進を防ぐ柵を設け、大量の鉄砲を効果的に使って勝利しました。(長篠の戦い)これ以降、鉄砲が戦いの主要な武器となりました。」(帝国書院『中学生の歴史』94ページ)

 よく言われるように、それまでの戦のやり方が、鉄砲の登場で変わってきたことがわかります。それでは、その鉄砲について、どのような記述があるか見てみると、つぎのようになります。
1543年、種子島(鹿児島県)に漂着した倭寇の船に乗っていたポルトガル人によって、日本に鉄砲が伝わりました。」

 これだと偶然、ポルトガル人がやってきて、鉄砲の技術を伝えたようになりますが、当時のヨーロッパでの兵器産業の様子を考えなくてはいけないようです。このあたりの話は『対決! 日本史』(安部龍太郎・佐藤優/潮出版社2020)が参考になります。

安部「ヨーロッパでは、鉄砲製造の技術、大砲製造の技術はものすごく進んでいました。ポルトガルのリスボンにある軍事博物館に行ったことがあるのですが、1540年代の段階では口径40センチくらいの大砲が造られているのです。
佐藤「織田信長が生まれたのが1534年ですから、そのちょっとあとの時期ですね。」

ちょうど戦国時代を迎えていた日本の状況を知って、これは武器の市場として大量に売れると、ポルトガルは考えたのではないでしょうか。しかも、火薬の原料の一つである「硫黄」がマカオや東南アジアに駐留していたポルトガル人のところには不足していたそうです。その足りない硫黄を日本で供給できることがわかり、取引成立が成立したようです。
こう見てくると、実は日本史のこの部分だけ取り出してみても、世界の動きと決して無関係ではないということです。多角的に見ることで、当時の物資の流通や人の動きがわかるわけです。
また、教科書の記述では次は「キリスト教の伝来」となります。
1549年イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に来てキリスト教の布教を始めることが説明されるわけです。このイエズス会のねらいが布教目的だけでなかったことはその後の歴史を見ればわかります。先ほどの鉄砲伝来の話もそうですが、一つの事実だけを教えても何の面白みもありません。複数の事実が実はつながりのあることだったり、ある出来事が次に起きることの原因になったりしたという因果関係などが明らかになると学びも俄然面白くなります。イエズス会との蜜月を築いた信長が、その後なぜ袂を分かったのかなど、複眼的にものを見ていくと無味乾燥に思えた歴史の授業が楽しくなるわけです。

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